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第三話 天国か地獄? ではなく、天国か? 異世界?だった!

last update publish date: 2026-08-23 14:01:28

第三話 天国か地獄? ではなく、天国か? 異世界?だった!

「さてはて、閻魔大王様」

「閻魔ちゃんと呼んでね」

 龍之介が改まって呼びかけると、閻魔大王本人は、もっと親しみを込めて呼んでほしいとでも言うように、自分を指さしながら微笑んだ。

「では……閻魔ちゃん。私は地獄へ行くのでしょうか、それとも天国へ行けるのでしょうか?」

 龍之介は、自分の孫ほど年の離れているように見える閻魔大王へ、背筋を伸ばして恭しく尋ねた。

 百歳まで生きて大往生を遂げたとはいえ、自分がこれから天国と地獄のどちらへ送られるのかは、やはり気になる。死者として最初に知りたいことは何かと尋ねられれば、ほとんどの者が同じ質問をするのではないだろうか。

 これまで龍之介が知っていた死後の行き先は、天国か地獄の二つしかない。もっとも、自ら進んで地獄へ行きたいと願う死者など、そうそういるはずもなかった。

 もし痛みや苦しみに快楽を覚え、地獄へ行くことを望む者がいるとすれば、よほどのマゾヒスト、それも超がつくほどの者だろう。あるいは、現世で悪行を重ね、その罪を心から悔いている者ならば、自ら罰を受けたいと願うこともあるのかもしれない。

「もう、龍之介ちゃんはせっかちなんだから。めっ。ちょっと待ってね」

 閻魔ちゃんは悪戯をした子供をたしなめるように人差し指を立てると、何やら確認するように視線を動かした。

「はい、お待たせ。龍之介ちゃんは、これといって悪いことをしていないから天国よ。それとも、輪廻転生してもう一度生まれ直したい? と言っても、もともと地獄なんて存在しないのだけれどね」

「えっ、地獄がないのですか? それでは、生前に悪行を重ねた者が死んだ場合はどうなるのでしょう。まさか、死んでしまえば無罪放免というわけではありませんよね?」

「もちろん、そんなわけはないわ。悪行を重ねた者は現世へ転生させられて、ミジンコやアメーバ、プランクトンあたりから人生をやり直すのよ」

「ミジンコやアメーバからですか。それでは、小さな生物として輪廻転生を繰り返しながら、最終的に人間へ戻るということなのでしょうか?」

「そうよ、正解。まあ、途中で脱落してしまう者もいて、そういう魂は永遠の混沌に包まれた、何も存在しない無の世界へ行ってしまうのだけれどね。光も音もない暗闇の中を、永遠に漂い続けるだけの世界よ。なかなか良いでしょう?」

 閻魔ちゃんは楽しそうに笑っているが、その説明を聞いた龍之介には、到底良い場所とは思えなかった。

「それが地獄なのではありませんか?」

「まあ、そうかもしれないわね。ふふふっ。それで、龍之介ちゃんはどちらにするの? 穏やかな天国へ行くか、それとも輪廻転生するか。希望するなら、何もない暗黒世界を永遠に漂うこともできるけれど?」

「最後の選択肢だけは、丁重にお断りいたします」

 龍之介が迷うことなく答えた、そのときだった。

 コンコン、と部屋の外から控えめに戸を叩く音が聞こえた。

「失礼いたします。三上龍之介殿の追加資料をお持ちいたしました」

「あっ、ありがとう。入ってちょうだい」

 襖が静かに開き、黒いスーツに身を包んだ一人の女性が部屋へ入ってきた。背筋を真っ直ぐに伸ばし、一分の隙もない身なりを整えた姿は、いかにも仕事のできるキャリアウーマンといった雰囲気である。

 縁なしの眼鏡が知的な顔立ちによく似合っており、その両腕には分厚いノートともファイルともつかない、大量の資料が抱えられていた。女性は閻魔ちゃんの前まで歩み寄ると、丁寧な所作で資料を差し出し、一礼して部屋を出ていった。

 どちらかといえば、今のキャリアウーマンの方が閻魔大王らしく見えるのだが。

 龍之介が胸の内でそう呟いた瞬間、閻魔ちゃんが資料から顔を上げ、真っ直ぐに龍之介を見つめた。

「私より、今の人の方が閻魔大王に似合っていると思ったでしょう?」

「まあ……ははは、見透かされてしまいましたね」

 龍之介は気まずそうに笑いながら、視線をわずかにそらした。

 いくら見た目が閻魔大王には不釣り合いな美少女であっても、そこは仮にも死者を裁く閻魔大王である。人の心を見抜く力は、見た目に似合わず鋭いらしい。

「今の女性は司録よ。司命は今、異次元へ転生した人のところへ出張していて、向こうでいろいろお手伝いをしているの。ちなみに司録と司命というのは個人の名前ではなく、私の秘書に当たる役職のことね」

「異次元へ転生した人のところに出張中ですか……。天界の仕事というものは、私が思っていた以上に行動範囲が広いのですね」

 龍之介が感心している間にも、閻魔ちゃんは受け取った資料を開き、先ほどまでの明るい表情を消して黙々と目を通し始めた。

 紙をめくる音だけが、広い閻魔の間に響く。

 龍之介は、資料を読む閻魔ちゃんの顔を見つめながら、次第に落ち着かない気持ちになってきた。

 自分でも忘れているような悪行が記録されているのだろうか。それとも、誰かから強く恨まれていたという記録でも残っているのだろうか。

 そのような考えが次々と浮かび、背中を冷たいものが走った。やがて額には、自然と嫌な汗がにじみ始める。

 資料から顔を上げた閻魔ちゃんが、龍之介へ冷ややかな視線を向けた。

 その瞬間、龍之介の額から脂汗が一筋、たらりと流れ落ちた。生前、これほどまでに緊張したのは、太平洋戦争へ出兵したとき以来ではないかと、遠い記憶の中の戦場を思い出してしまうほどだった。

「あっ、浄玻璃鏡も確認しなければならなかったわね」

 閻魔ちゃんは何かを思い出したように声を上げると、手元から一枚の薄い板のようなものを取り出した。

 浄玻璃鏡という言葉から龍之介が想像したのは、古墳などから出土する、表面に複雑な文様が施された銅製の鏡だった。ところが、閻魔ちゃんが取り出したものは銅鏡とは似ても似つかず、現世にあったノートパソコンやタブレット端末と表現した方がよほど近い形をしている。

 閻魔ちゃんが指先で画面に触れると、暗かった表面に淡い光が灯り、文字や映像らしきものが次々と表示された。

「ブルーライトで目が疲れるのよね。若くても、そろそろあれが欲しいわ。たしか、ハ●キルーペだったかしら。ブルーライトをカットして、文字も大きくしてくれるのよね? 今度、現世へ買いに行こうかしら」

「それはもう、鏡ではなく液晶画面なのではありませんか?」

 龍之介は、思わずもっともな疑問を口にした。

 浄玻璃鏡というからには、三角縁神獣鏡のような重々しい銅鏡を想像していたのだが、目の前にあるものは、どう見ても最新型のタブレット端末である。死後の世界が時代に合わせて進化しているとは考えていたものの、ここまで現世の技術に寄せてくるとは予想していなかった。

 閻魔ちゃんは龍之介の疑問に答えることなく、画面に表示された情報へ黙々と目を通した。

 しばらくの間、部屋の中には、閻魔ちゃんが画面を指でなぞる小さな音だけが続いた。

 やがて、その大きな瞳が驚いたように見開かれた。

「龍之介ちゃんは、寺社仏閣巡りの回数が一定以上の水準をはるかに超えているため、特典があります……って、ちょっと待って。久しぶりの逸材じゃない。驚いたわ。平成の世にも、まだこんな人がいたのね」

「はい? 何ですか、それは。私が逸材なのですか?」

「逸材という言葉は、今のところ気にしなくていいわ。それよりも、この信心深さは素晴らしいわね。生前の信心深さに応じた死後の特典として、龍之介ちゃんは自分が希望する異世界へ転生できます。いえ、転生させます。というより、龍之介ちゃんは異世界へ行くべきよ。私が必ず行かせます」

「まるでライトノベルですね。それにしても閻魔ちゃん、異世界転生を随分と強く勧めてきますね」

 異世界へ転生できるという話よりも、「行くべき」「行かせる」と独り言のように言い直した閻魔ちゃんの言い回しが、龍之介には気になった。

「あら、百歳だったわりには、ライトノベルなんてものを知っているのね」

「孫たちが読んでいたものを一緒に読んでいるうちに、私も好きになったのですよ。深夜アニメも毎週楽しみにしておりました」

「それなら話が早いわ。現実の死後の世界なんて、龍之介ちゃんが読んでいたライトノベルの世界と、それほど変わらないものよ。それに、生前、いくら神様や仏様にお願いしても、宝くじは当たらなかったでしょう?」

「はい、まったく当たりませんでした。およそ八十年間、欠かさず買い続けてきたのですが……。そのことまで、そこに書いてあるのですか?」

 龍之介が浄玻璃鏡を指さすと、閻魔ちゃんは当然だというようにうなずいた。

「宝くじを当ててほしいというようなお願いは、どれほど熱心に頼まれても聞かない決まりになっているのよ。参拝すれば宝くじが当たる神社なんて、嘘よ、嘘。当たるかどうかは、その人自身の運次第。八十年も残念だったわね」

「八十年分を、ずいぶん簡単に片づけられてしまいましたな」

「でも、龍之介ちゃんが神様や仏様を敬う気持ちに、嘘も偽りもなかったことは、きちんとタブレットに……ごほんっ、浄玻璃鏡に記録されているわ。だからこそ、異世界転生という特典を選ぶことができるのよ」

「浄玻璃鏡というのは、何でも記録している万能の盗撮機のようなものなのですね。しかし、なぜ異世界転生が特典になるのでしょうか?」

「おっ、そこに疑問を持つとは、さすが百歳ね。伊達に長く生きていないわ」

 閻魔ちゃんは楽しそうに目を輝かせると、龍之介へ身を乗り出すようにして説明を始めた。

「異世界転生の最大の利点は、現世で身につけた能力や知識、そして記憶を保ったまま、新しい世界へ転生できることよ。それに、転生した先でもう一度死んだとしても、そのあとは天国へ行くだけだから、不利益は少ないわ。過去の経験を生かしながら、もう一度別の世界を生きられるのよ」

「転生した先でも、百歳の身体と体力のままなのでしょうか?」

「ああ、それは大丈夫。肉体の年齢は、チンコビンビンの十六歳など、好きな年齢を選べるわよ。百歳の肉体のまま異世界へ転生したら、また老衰ですぐに死んでしまうじゃない。百歳のお爺さんが魔王と戦っている姿なんて、さすがに想像できないわよ」

 閻魔ちゃんは腕を組み、百歳の老人が魔王へ立ち向かう姿を思い浮かべたらしく、難しい表情で首を傾げた。

「もっとも、田舎でたまにニュースになる、ツキノワグマを鉈で倒してしまうようなお爺ちゃんなら、魔王討伐の一行へ入れなくもないでしょうけれど、あんなものはまぐれよ、まぐれ」

「では私の場合、十八歳の肉体に、これまで身につけた剣聖としての技量を持った状態で転生できるということですか?」

「チンコビンビンよりも、そちらを選ぶのか――。ブ――――ッ!」

 閻魔ちゃんは、口で不正解を告げるような音を出した。

「まあ、そういうことよ。転生先は、ロールプレイングゲームの世界だと思ってもらって構わないわ。龍之介ちゃんの剣聖としての能力は、異世界へ持っていけば、かなりの強さになるはずよ。それにしても、平成の世でよくここまで剣を極めたものね」

「百年も生きておりましたからな。時間だけは十分にありました」

「異世界転生では、さまざまな種族が一緒に暮らしている世界や、ダンジョン攻略ばかりを楽しめる世界を選ぶこともできるわ。エルフ美少女、吸血鬼美少女、獣耳美少女、包帯ぐるぐる美少女が出てくるような異世界だって選び放題よ。しかも、龍之介ちゃんの剣聖としての能力は、チートスキルと言ってもいいほどの水準だから、きっとモテモテ間違いなし。やりたい放題よ。ビンビンチンコを振り回し放題よ!」

 平成の世で、これほどまでに多くの武術を極めた者は滅多にいない。その稀有な能力を持つ三上龍之介を前にして、閻魔ちゃんの興奮は最高潮へ達していた。

「やけに美少女推しですね。それに、異世界で女性にモテるかどうかはともかく、なぜ異世界転生そのものが特典になるのか、やはり私には分からないのですが……」

「龍之介ちゃんは、そんなに天国へ行きたいの?」

 閻魔ちゃんは先ほどまでの興奮が嘘のように真顔になると、少しばかり声を潜めた。

「天国は暇よ。とにかく暇なの。言うなれば、毎日毎日、南国のコテージで寝転がったり、草津温泉のお湯に浸かったりしながら、何もせずにぼんやり暮らしていくような世界ね。それが一日や一年ではなく、永遠に続くのよ」

「苦しみがないことは、良いことのようにも思えますが」

「最初のうちはね。でも、あまりにも暇すぎると、刺激が欲しくなってくるものなのよ。実際、天国へ行った人たちから、退屈すぎるという苦情が多く寄せられているわ。そこで、生前に信心深かった人を対象に、異世界転生モードを開始してみたのよ」

「異世界転生モードですか。何やらパチンコのような響きですね。いわゆる確変というものでしょうか?」

「とりあえず、異世界転生カタログがあるから、それを読んでみて。もう死んだのだから、時間はいくらでもあるわ。急いで決める必要はないもの」

 閻魔ちゃんがそう告げると、先ほど資料を運んできた司録が再び姿を現した。龍之介は司録に促され、閻魔の間を出て、別室へ案内されることになった。

 建物の内部は、京都の二条城を思わせる造りになっていた。閻魔の間から廊下へ出ると、磨き上げられた板張りの長い廊下が、薄暗い建物の奥まで続いている。障子の向こうからは淡い光が差し込んでいたが、周囲には人の気配がほとんどなく、龍之介と司録の足音だけが静かに響いていた。

 長い廊下を三分ほど歩いたところで、司録が一つの部屋の前に立ち止まり、襖へ手をかけた。

「こちらが、異世界転生カタログを保管している部屋になります」

 襖が左右へ開かれた瞬間、龍之介は目の前に広がった光景に言葉を失った。

 異世界転生カタログというからには、分厚い本が一冊か、せいぜい何冊か用意されているものだと考えていた。ところが、そこにあったのは一冊の本などではなく、部屋そのものが巨大な図書館になっている空間だった。

 天井近くまで届く書棚が幾列も並び、見渡す限り無数の本が収められている。転生先となる一つの設定、一つの物語に対して、一冊ずつ本が用意されているらしく、その総数は見当もつかなかった。

 龍之介が現世で訪れた国立国会図書館や、写真で見たヴァチカンの図書室にも匹敵するどころか、それらをはるかに上回るような蔵書量である。

「ぬおっ、この量の中から自分の転生先を選ぶのですか? 国の図書館どころか、それ以上の規模ではありませんか」

「まあ、もう亡くなられたのですから、時間はいくらでもあります。慌てず、ゆっくり決めてください」

「事実ではありますが、その言い方は何やら痛いですね。死んだという言葉が、今さらながら心に突き刺さります。ちなみに、過去の時代へ行ける設定も、この中にあるのでしょうか?」

「もちろん、ありますよ。平成の剣聖としては、宮本武蔵や塚原卜伝と戦ってみたいですか? それとも新選組と戦いたいですか? 斎藤一と一騎打ちをしてみたいのでしょうか?」

 司録は真面目な表情を崩さないまま、両手の人差し指を剣に見立て、交互に動かしてチャンバラを表現した。隙のないキャリアウーマンにしか見えなかった司録の意外な仕草に、龍之介は思わず笑みをこぼした。

「ああ、それも良いですね。ただし、斎藤一には何の恨みもありませんから、勝負をしたとしても殺すつもりはありませんよ。それより私は、歴史の『もしも』に興味があります。美少女が大勢いる異世界へ行くよりも、過去の時代へ行く方が、私には合っているように思えます」

「もちろん可能ですよ。異世界は、あなたが選ぶ初期設定によって形作られます。物語は転生したあとの行動によって分岐していきますから、何が起き、どのような結末を迎えるかは、実際に生きてみるまで分かりません」

 司録は書棚へ視線を向けながら、落ち着いた声で説明を続けた。

「それに、現世とはまったく異なる別世界ですから、あなたが過去を変えたとしても、現世に残してきたご家族へ影響が及ぶことはありません。タイムパラドックスについても考えなくて大丈夫です。過去の時代を舞台にしていたとしても、そこは完全に独立した異世界なのです」

「分かりました。では、少し考えさせてください」

「時間はいくらでもありますから、ゆっくり考えていただいて構いません。もう亡くなられたのですから。ふふふっ」

「それは、天界で決め言葉にでもなっているのですか?」

「ただのお約束というものですよ。ふふふっ」

 司録の笑い声を聞きながら、三上龍之介は改めて、果てしなく続く書棚を見渡した。

 美少女たちに囲まれて魔王と戦う世界もあれば、歴史上の剣豪たちと刃を交える世界もある。さらに、現世の歴史では実現しなかった「もしも」を、自らの手で確かめられる世界まで用意されている。

 これほど膨大な選択肢の中から、自分が新たに生きる世界を一つだけ選ばなければならない。

 龍之介は巨大な図書館のような資料室に腰を据え、無数の異世界転生カタログと、しばらくにらめっこをすることにした。

 結論を出すには、相応の時間が必要だった。

 もっとも、閻魔ちゃんが言ったように、すでに死者となった龍之介には、本当に時間を気にする必要などなかった。

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